古書店にて¥100

今日はやらなきゃならないことをお休みして、一日中昼寝したり飯を食らったりTVに見入ったりして、だらだら過ごした。こんな休日もなかなか良いものである。
昨晩は、突如として世間の流れについてゆけない感覚に陥り、TV、電子機器等による音楽、ネットなど一切の情報を排除して、悶々とした気分のまま一冊の本に夢中になった。
硝子戸の中*1
漱石先生のエッセイ集である。その中の段落十九のセリフを抜き出す。(あくまで私の主観にて抜き出した部分であるので、詳しくは本書を参考されたい。)漱石先生のもとへ訪ねてきたある若い女と、漱石先生との会話である。若い女は、自分の周囲がうまく片付かないで困る、という話を漱石先生に持ちかける。

「いえ、部屋の事ではないので、頭の中がきちんと片付かないので困るのです」
「外からはなんでも頭の中にはいって来ますが、それが心の中心と折り合いがつかないのです」
『あなたのいう心の中心とは一体どんなものですか』
「どんなものと言って、まっすぐな直線なのです」
「物にはなんでも中心がございましょう」
『あなたの直線というのは比喩ではありませんか。もし比喩なら、円と言っても四角と言っても、つまり同じになるのでしょう』
「そうかもしれませんが、形や色が終始変わっているうちに、少しも変わらないものが、どうしてもあるのです」
『その変わるものと変わらないものが、別々だとすると、要するに心が二つあるわけになりますが、それでいいのですか。変わるものはすなわち変わらないものでなければならないはずじゃありませんか』

うむ。と、ここまで読んで唸ってしまった。もしかしたら、この若い女は、若い頃の漱石先生自身なのではないか、と思ったから。自問自答されているのである。今と昔との自分で。なんでそんなことを私が感じたのか。それはこの若い女は、まさに今の私のようだったからである。あらら。共倒れ。そんなけったいな。けれど、漱石先生は一喝してこの若い女を帰らせてしまうのである。『それはあなたが私より偉い証拠です』と言って。

*1:岩波文庫/昭和46年発行第37刷...はまぞうがうまく動かないのでこんな表記にしました