mixiとDerrida

mixiというコミュニケーションサイトがあります。それは、友人紹介がないと入会できない、というスタイルのコミュニケーションサイトで、会員になると、ブログが作成できたり、コミュニティという(平たく言うと)同じ興味を持つ人同士のサークルに参加できたりします。
最近、ジャックデリダJacques Derrida)のコミュニティに、面白いトピ(トピックス=問いかけ、話題提起)をみつけました。
生きることを学ぶ、終に

『[自己と他者]100%わかり合えることができるか?』というもの。このトピ上では、夏目漱石からレヴィナス柄谷行人など様々なところから、ああでもない。いや、こうなんやないか。と葛藤が見られるんですけど、結果的に落ち着いたのが、「まあ、100%(完全に)は無理なんちゃうやろか」でした。


けれど、私が面白いと感じたのは、このトピに書き込んだ人が結構な割合でmixiを退会している、というところなんです。
100%わかり合えるのは無理、というベクトルと、いやそれでも他者を求めたい、というベクトルが、少し踏み込んだカタチで葛藤されている、と私は思いました。そこには感情的な書き込みと、ネット上のコミュニケーションの虚無感が(多少)混じり合っていて、立ち止まって、うーん、と考えてしましました。